僕が学校をつくると決めた日

僕が学校をつくると決めた日

突然の異変

最初の始まりは突然でした。

当時、幼稚園の年中だった次男が「幼稚園に行きたくない」と言い出しました。

僕と妻は、最初は子供によくありがちな行き渋りだと思って、園の先生にその事を伝えると、「園では楽しそうにしているから無理にでも連れてきてください」と言われ、嫌がる次男を無理やり抱えて登園させる日が続きました。

そうやって、年度が変り、長男は1年生、次男は年長になった春。

今度は長男が「学校がつらい。行きたくない。」と言い出すように。

最初は登校班の集合場所に妻が一緒についていき、しぶしぶ言っていたのが、徐々に拒絶反応が大きくなり、大声を出して嫌がるほどになりました。

僕と妻は、一抹の不安を感じながらも、入学して間もない頃はよくある事だと自分達に言い聞かせ、なだめたり、ご褒美で釣ったりしながら、なんとか学校に送り届けようと必死になりました。

しかし、息子たちの異変は徐々に大きくなり、家で落ち着きがなく騒ぎ立てたり、わざと親が困るようなことを立て続けにしたり、暴力的な態度になったり、特に朝の時間の情緒不安定が激しく、妻の力では制御できないほどの嫌がり方で、登校、登園を兄弟で拒否するようになりました。

僕と妻は「我が子たちは不登校になっているのでは」と考えざるを得ない状況になりました。

自分達の子どもが、不登校(不登園)になったという事実。

当時の僕は、目の前が真っ暗になりました。

それはあまりに突然の事で、、、いえ、もしかしたら息子たちは、もうずっと前からSOSのサインを出していたのかもしれません。

そして、もしかしたら、妻もそのSOSを感じて、僕に何か伝えようとしてくれていたのかもしれません。

ただ、僕があまりに仕事に忙しすぎて、息子たちと妻が発するサインが見えていなかっただけなのかもしれません。

 

始まった崩壊は速度を増し、、

それから、我が家が完全な機能停止に陥るまで、わずか2か月程度しかかかりませんでした。

4月に息子たちの行き渋りがはじまり、強引に登校、登園させようとして以来、子ども達の情緒は不安定の一途をたどり、僕と妻は児童相談所に相談しました。

そこで、検査を受けた結果、息子たちは二人ともASDとADHDの発達特性を持っている事がわかりました。

僕と妻は、その診断を受けて「原因はちゃんとあったのか」と少しほっとした半面、ではこれからどうしよう?

という課題に直面する事になりました。

当時の僕は、月間300時間労働から抜け出そうと、正規雇用の職を求めて自分を売り込んだり、副業をしようとパソコンに向かってWEBサイトやVRの制作スキルを学んだり、非常に不安定な状態でした。

仕事も収入もすべてが不安定で、相変わらず仕事のために家を空ける事が多く、状況は好転する兆しはありませんでした。

その間、妻は自宅のアパートで情緒不安定でエネルギーの発散場所に困って騒ぐ息子達と日中も時間を過ごし、疲労とストレスの限界に達していました。

そして、当時の僕と妻は、ひとまず疲弊した自分達の回復を図ろうという専門家の助言もあり、児童福祉のサービスを利用して何とか親の回復のための時間を取ろうとしました。

しかし、児童福祉サービスの場所でも、自宅に帰ってきてからも、子ども達の情緒不安定はエスカレートし、ついに限界を超えてしまいました。

その日、我が家は、救急車と警察を同時呼ぶという事態になりました。

あの時感じた無力感と、その無力感を蒸発させてしまうくらい、腹の底から世の中すべてを呪い殺してしまいそうな怒りのエネルギー。

その日、妻はノイローゼが限界に達してパニック状態になり病院に緊急搬送、そして入院。

子ども達も興奮状態が限界を超え、警察のパトカーに乗せられ児童保護施設に緊急保護。

そして、僕は病院と児童保護施設での最低限の手続きを終えると、空っぽになったように、誰もいないアパートで、ただ天井を見つめていました。

何かが絶対におかしい。

なぜ、僕たち家族がこんな仕打ちを受けなければならない。

僕たちはなにか悪い事をしたのだろうか?

子どもとの時間を犠牲にしないと生活ができないような給与水準。

毎日自分を押し殺して、組織の歯車としてストレスで押しつぶされそうにならないとお金のもらえない、クソみたいな仕事。

良かろうが悪かろうが、結果として息子たちを追い詰めた学校教育と、回復につながらなかった児童福祉施設。

そして何より、そんな不完全でバグだらけの社会システムに最愛の家族の行く末を委ねるしかなかった自分自身のふがいなさに、心から怒りを覚えました。

何かが絶対におかしい。

中学生、高校生と優等生で、国立大学に現役合格したのに、なんでこんなにもふがいない人間ができあがってしまったんだ。

社会に出て20年も経つというのに、なんで毎日好きでもない仕事に縛られて、経済的に生殺与奪の権を奪われて、その結果、息子たちと妻がつらい思いをしている。

あぁ、もし、僕がこれまで読んできた本の中に書いてあったように、自分の大好きな事でメシを食っている奴らが本当に実在するとしたら、彼らと僕は一体何が違うんだ。

「週4時間だけ働く」とか、「1時間で数百万稼ぐ」とか、そんな次元の話じゃなくていい。

ただ、心が平穏に保てる仕事で、息子達と1日1時間でも、落ち着いて向き合い、語り合い、喜びを共有できる時間が持てて、自分は誰かの役に立てているという貢献感を感じながら眠りに就き、朝、体のだるさやめまい、胃痛を感じることなく目覚めて、今日という一日に感謝ができるようになりたいだけなのだ。

もし、毎日やりがいを感じられる仕事をして、子どもと向き合うための十分な時間を持てるのなら、僕はそんな人生を手に入れるためにどんな苦労だっていとわない。

息子達には、僕と同じような苦しみを味わわせてはいけない。

そのためなら、残りの人生をかけて、その方法を突き止めてやろう。

そして、息子たちが大人になってしまう前に、その方法を伝えなければ。

 

諦める事を諦めた瞬間

僕がアパートに1人とり残されて数日後、僕は悪夢を見て全身びっしょりと汗をかいて目覚めました。

その悪夢は、僕に、この40年間の人生で味わったことのない、胸と腹を同時にえぐられるような鈍く、そして激しい感情を僕に残しました。

その悪夢の中で、長男が血まみれで、僕の腕の中で、息も絶え絶えになりながら力を振り絞って、口元に笑みを浮かべて僕にこういうのです、「とうさん、ごめんね、、、」

僕は、無念さと、悔しさと、怒りと、それから言葉にできないような他の感情を抱えて、その場で叫び声をあげました。

そして、その瞬間、目が覚めました。

天の啓示というものがあるとすれば、この悪夢は、僕にとっての啓示でした。

僕は、僕の人生の他の何を犠牲にしても、この「今の現実」をぶち壊し、この悪夢を現実にさせないと誓いました。

僕自身も、将来の息子たちが、大好きな事でメシを食えるようになる。

つまりは、自己実現と経済的自立の両立。

これが実現すれば、今の僕たち家族の問題はほとんど解決する、そう自分に言い聞かせました。

僕は、正気を取り戻し、今まで自分が人生において身に着けた使えそうなスキル、応用できそうな少しばかりの小さな成功体験、避けるべき過ちなどについて思いを巡らし、コピー用紙の裏紙に書き出していきました。

これから僕がこの授業でお伝えする事は、僕が二人の息子達に伝えるべき事を現在進行形で授業という形にしたものであり、例えるなら僕から彼らへの「遺書」です。

死ぬまでにこれだけは伝えたい。

そういうものです。

だから、もしあなたが「そういう重たい感じなのは要らないんだよね」「ちょちょっと手軽に割のいい仕事ができるようになるノウハウを知りたいだけなんだよね」というノリであれば、間違いなくミスマッチなので、さっさとこのページを閉じてしまってください。

あなたの時間の無駄になりますから。

でも、もしあなたが、僕と同じ事で悩んでいて、ただ、大好きな事でメシを食えるようになって、子どもとの時間をもっと確保して、子ども達の未来の事について親子で取り組むべき事があると信じているなら、僕の個人的な体験談の中に、例え1つでも、あなたにとって役立つものがあると信じています。

では、続きは大好きな事でメシを食うための「ハイテク起業の授業」であなたをお待ちしています。

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